例えば迷路からの脱出方法。
まずは壁に左手を添えてひたすら道を進む。それではきりがないのなら、上に攀じ登って眸で出口を捜す。
それでも不可能な場合、ある程度行った所で壁を軽く叩くとまさかの壁が崩壊。それを続けた結果外の道へ繋がり無事脱出。

ざっとこんな感じ。

しかし“この世界”の壁を叩いたとてそれが壊れ“元の世界”へ無事脱出とは到底、行く訳もない。





 「行く訳…ないんだろう?」


この少年はいったい何を言っているのだろう。
この次元は、この世界は、迷路に似て非なるモノであって決して迷路ではない。即ちそれは迷路からの脱出方法では抜け出せない事を意味する。


「だから壁叩けばいーんじゃない?って言ってるの」


その言葉を待っていたかのように、砂埃と共に風が暁蛇の背中にある袋状の布、“パーカー”を持ち上げる。
舞い上がった長髪の影から見えたのは、細く笑んだ唇と深緑の眸。隣で諦めたように虎秘が琥珀を伏せた。


「………具体的に…どこの壁を叩くんだ……」


我ながら珍しく歯切れの悪い言葉。帝釈天は眸を明後日の方へ向けながら問うた。
信じられない。どうしようもなく暁蛇の言葉が信じられない己がいた。まともに話を聞いている事が酷く馬鹿らしい事のように思える。


「じゃーあー……さっそくここからどう?」


ぺしっとくすんだ壁を暁蛇が軽く叩く。時を同じくして隣から盛大なため息。誰のものかは、もはや言う必要などないだろう。


「……………」


やはりどうしようもなく言葉が出なかったが、なら他に良い案があるのか、と問われても黙する事しか出来ないため、やるだけやってみる事にした。
右手を上げて、扉を叩く時のように、軽く拳をつくり人差し指の背で暁蛇が叩いた壁と同じヵ所を叩く。


「……………」

「……………」

「……………」


鈍い音が一つ

それだけ


「あーれれ〜?」


笑顔のまま暁蛇の台詞

その―――刹那


「え?」


ぐるりと視界が回転し慣れ親しんだ浮遊感。色とりどりに輝く光が凝縮して行き、弾け、眩しさに眸を閉じた。どれ程の間そうしていたのか。
やっと光が引いたかと思われる頃、そっと眸を開いたその先にあったものはくすんだ壁ではなく、年を積み深さを増したであろう深い茶色の丸机に置かれた菓子と茶であった。


「んん〜?あれぇここってー」

「あの……花屋…か?」


どこか驚いているような、しかし然してそうでもないような暁蛇と呆然と呟く虎秘。
帝釈天は眸の前の見知らぬ景色に気を取られながら、頭では確かに先程起こった事について考えを巡らせていた。

間違いなく“あれ”は次元移動であったと。

次元移動と言う程大それたものではないにしろ、確かにそれと同じ原理の元にある移動の術であったと。


(壁を叩いて次元移動…か?)


血が滲むまで、何百と言う年月の中使ってきた移動の術を試みたと言うのに、それが不可能に終わり壁を一叩きすればこうも簡単に移動できると言うのか。

馬鹿げている
どうしようもなく


「――お前らどこから入った?」


ふいに響いた男の声。見れば丸机の奥に紅い帽子を被った男が懐に手を入れながら壁に凭れ立っていた。
帝釈天から男まで距離がある事や、些か薄暗い部屋が相俟って男の顔はよく見えない。


「歓迎するとは言ったが、表から来たらとは言わなかったか?」

「でも裏からでもないよ」


男の低い声に暁蛇が答える。話からして初対面ではなさそうだが、そんな事帝釈天にとってはどうでも良い事であった。
取り敢えずこれ以上余計な騒動と言うか、面倒を起こしたくない。先程とは一変し、手近にある壁を叩こうとした瞬間、凄まじい音が耳を貫き、延ばした手が煙に包まれた。

叩こうとした壁に小さな丸い穴
そこから上がる熱い煙

男が懐から出した手に銃を構えていた。


「何をするつもりだ」

「……………」


低みを増した声に帝釈天は手を下ろし男を見据える。しかし帽子の鍔に隠れ、眸は見えぬままであった。
表情が読めない、それは行動の先読みが出来ない事であり、厄介な男だと帝釈天は小さく息をついた。

それを合図のように虎秘が帝釈天の前へ出て、両手を上げながら男へ苦く笑いかけた。


「あ、あの!!俺達別に忍び込もうとかそんな風に思ってた訳じゃ―――っ」

「そーそーぜーんぜん怪しい者じゃありませんってね!!」


いつの間にか暁蛇が茶色の丸机にあった菓子に手を伸ばして、口にほおり込んでいる。それを見た虎秘があっと声を上げると、手を上げたまま暁蛇の方へ走り寄った。


「お前何勝手に食ってんだよ!!空気読めないのか!?」

「コヒメこそいつまで手上げてるの?それにここには前お世話になったんだからちょっとぐらい寛いだっていいじゃん」

「そう言う問題じゃねぇよ!!」


怒鳴る虎秘の語尾に掛かるようにふいに低い笑い声が響いた。一、二度小さく鳴ったそれは丸机の奥から聞こえたもので、見れば紅帽子の男が口角を引き上げていた。

同じく暁蛇がにやりとし、虎秘が気まず気に眸をさ迷わせる。


「相変わらず仲が良いな、お前達は」

「どーもー」

「褒めてねぇよ!!」


あからさまに消えた男の警戒心に帝釈天は首を傾げる。
銃を出す程の警戒を、いくら知り合いと言えどそう簡単に解くものだろうか。銃による警戒は帝釈天だけに向けられたものだとしても、だ。

しかしそこで、ふと気付く。

虎秘と暁蛇の会話。余りに馬鹿げた会話。警戒心を削ぎ落としそうなあの雰囲気。


(あぁ)


納得。
今だ口角を釣ったままの男と、やはり先程と変わらぬ表情の虎秘と暁蛇を眺めながら、帝釈天は一人頷いたのだった。





肆 黄金ノ水