嫌な夢を見て飛び起きたときのような、異様な心臓の動き。
銃を握っているはずの、感覚が無い震える手。動かない足。声帯までもが職務を放棄している。

閉められた扉の向こうから声が聞こえた。何を言っていたかは分からない。
気付けば視界が滲んで揺れていた。――あぁ…これは夢ではない、紛れもない現実。
それを確認したところで特に変化はなく、俺の身体は未だ何一つ言うことを聞こうとしない。


「コヒメ」

いつもの調子で俺の名前が呼ばれた。
やっとのことで顔を上げると、キョウタが腕を下ろして振り向くのが見えた。
いつの間に仕舞ったのか、その手には何も持っていなかった。

「コヒメもソレ片付けな、もう大丈夫だから」
「……ぁ…」

それは幼い子供をなだめるような口振りだった。
何か受け答えようとしたがまともに返事も出来なかったので諦めた。キョウタは少し困ったように口を歪めていた。

「落ち着きなよ。アレだって“しばらくは会うこともない”みたいなこと言ってたじゃん」
「…わかってる」

声帯がストライキから復帰したのをきっかけに一気に力が抜けてしまった。
へたり込むように床に座る羽目になった。凄く情けない。
どこから入ってきたのか、いつの間にか部屋にいたリリが膝に擦り寄ってきた。一層情けなさに襲われる。

「まったく、メンドくさいヤツに目ぇ付けられたもんだね」

一番の渦中の人物であろうキョウタは笑いながら他人事のように呟く。
この状況で俺がリリにまでなだめられている場合ではない…しっかりしろ俺!
 ――にしても、ホンシーズは何者なのだろうか。ゾディアック社長補佐?あんな年端もいかないような小さな子供が?

「…やっぱおかしいだろ…どうかしてる」
「僕が?」
「違ぇよ。…確かにお前が一番どうかしてるけど」
「わー、コヒメ辛口ぃ〜機嫌悪いね〜」

ちょっと前までこいつが銃の引き金に指をかけ、それを人の頭に突き付けていたとは思えない。その変わり身の早さは何なんだ。
おっと、話がズレた。話題を戻さないと。

「ホンシーズの事だよ。あいつ人員確保がどうこう言ってたよな…その響きに嫌な予感がするのは俺だけか?」
「止めてよ、コヒメの悪い予感はよく当たるんだから」
「あんなん出てきたら嫌でも気になるだろ」

傍迷惑な小さなお客(今では敵と認識して間違いなさそうだ)を思い浮かべるとリアルな寒気がした。
ふと思い出して手に持ったままだった銃を離すと重く鈍く床に横たわった。

「ねぇ、僕ゾディアックの事なんかよりもっと気になることがあるんだけど」

キョウタがソファーに寝転び、目線も合わせず言う。少しトーンの落ちた真面目な声。

「な、なんだよ」

気まずくてぎこちない返事になってしまった。彷徨う目線が仕方なく床に放り出された銃を捉えた。
黒い銃身が怪しく光を跳ね返す。

「何にそんな怯えてんの?」

そのキョウタのたった一言で、落ち着いた筈の心臓が再び異様な動きを始める。
頭の真ん中に心臓があるような、そんな感覚が全身を支配する。

「な…」
「なんのこと?とか言わないでよ、コヒメの事に決まってんだから。」

キョウタは逃がさないとばかりに、はぐらかす言葉さえ遮った。
俺は小刻みに震えだす手を隠そうと俺の膝に乗っているリリを抱き締めた。
誤魔化す必要なんてどこにも無いのに、そうせずにいられなかった。

「全部話さなくていい、質問するから答えてよ」

変わらず落ち着いた声が緩く響く。なぜか逃げられないのだと認識した。

「コヒメが引っ越したの9年前だっけ。いつこの街に戻ってきてた?」
「…1年…ぐらい前」
「じゃあ何で戻って来たの?」
「それ、は…」

あれ? なんで、だっけ?
何だろうか 覚えていない――?

違う

口に出したくないのか。自分で認めたくないんだ。分かっているくせに。
こんな事したって事実は変わらない。キョウタになら話せるよな?話してもいいよな?
声に出さなかった問いに、腕の中のリリが顔を上げ答えるように喉を鳴らした。

「両親が、いなくなったんだ」
「…亡くなったってコト?」
「……分からない。朝起きたら、いなかった」
「それはいつの話?」
「多分…3年前」

曖昧な答えだが仕方ない。思い出すのも考えるのも避けてきた為かどのくらいの期間かはっきり分からない。
なにせこれは考えたら考えただけ落ち込むだけだったのだ。
決まって誰かが頭の中で囁く ―お前は見放された、捨てられたのだ、お前のせいで…― と。

「2年も1人でよく頑張ったね」
「……は?」

キョウタの言葉は思いがけないものだった。
思わず声の方向へ顔を向ければアイツはソファーに座って此方を見ていた。

「もう大丈夫。僕もリリちゃんもいるから」

立ち上がったかと思うと歩み寄って俺の前にしゃがんだ。微笑むキョウタは少し得意気そうだった。
途端に視界がぼやけて見えたので慌てて下を向いた。

「なに言ってんだ馬鹿」
「素直じゃないなぁ」
「うるさい」

この状況は絵面的にないな、などと考えたりしたがどうも止めることが出来なさそうだったので、
頭に置かれたキョウタの手を振り払って幾らかの軽減を図った。
リリが少々迷惑そうにしていたが今日はもう何も気にしないことにした。

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